北海道・札幌
2007.9.10

札幌と言う街は、本州の街とは異なる独特の空気を持っています。
それが何なのかを調べていて地図を見ると、こんな風景に出くわします。


上記の画像を見ていて、中心に分割線があるので、左右が違うということが分かりますが、上手に画像連結をすると、左右どちらも同じ都市の地図に見えると思います。

ところが、左右の都市は、右は北海道札幌市、左は現佐賀県佐賀市の地図という遠く離れた場所の地図です。
この左右の地図を比較するとき、ポイントは、町並みの角度になります。

札幌の碁盤の目はよく"京都に模して"とか"北海道のシンボルでもある北極星を意識して"と言われるのですが、この地図をみると、正確に南北を向いておらず、また磁北でもないことから、そのどちらでもないことが分かります。札幌の都市計画を作成したのは、島義勇と言われます。その彼が札幌の都市計画を作る際において、どの街を参考にしたのかについては、以下の記事が参考になります。

島義勇(しまよしたけ)
札幌市中心部の特徴ともなっている、碁盤の目の都市計画は島義勇が京都を模したとの説があるが、「新札幌市史」は「島判官の出身藩佐賀藩の城下町である佐賀の都市構造に類似している」として、「島判官は、おそらく近世の城下町を考慮にいれて構想したものと思われる」としている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

開拓・開発で地方に派遣された場合、故郷の街の構造を赴任先の街づくりに持ち込むというのは古くからあり、分かりやすいところでは、地名がそれにあたります。
大和国や武蔵国は出雲の民が赴任し、国づくりに当たったということはよく知られているのですが、その土地には、出雲を思い起こさせる地名や神社が数多く存在します。

なので、島義勇が札幌の都市計画を纏めるにあたって、自身の故郷である佐賀の町並みを基礎に置くということは極自然な流れであると思います。
そうやって、上記の地図を見返してみたとき、札幌という街は佐賀の都市計画を更地の上に作成しなおしたものであるということを感じることができます。

-*-

そうやって、出来上がった町並みというのは、風水的な自然のエネルギーに沿った街づくりということとは異なり、自然の大地の上に、人工的な空間を作るという街づくりになります。

日本の本州・九州・四国各地の街づくりというのは、概ね更地に後から作ったものではなく、自然の山川を利用しながら自然発生的に出来上がったものが多く、そのため自然と街が別物ではなく、一体化しているものが殆どになります。むろん、戦後の宅地開発のように、山を切り崩して更地を作ったという場合は別ですが、それでもそれが一つの都市を形成するほどの大きさではありません。

そうやって、札幌の街を眺め、空気を感じてみると、アメリカの都市と空気感が良く似ていることが分かります。アメリカの都市は、殆どが開拓民によって更地の上に計画された街であり、札幌と同じように碁盤の目になっています。
私の友人で、生まれも育ちも札幌の人が居るのですが、以前から、「理由はよく分からないけど、札幌は変な街だ」ということを言っていたのですが、それが人工的な街づくりのことを意味しているのだとすればその意味も良く分かります。
人工的な街になるので、自然との一体感は非常に薄れて、人間だけが住まうような空間感覚になり、建物で言うならば、畳敷きの部屋に対して、フローリングの部屋とでも言えば良いでしょうか。どちらも自然素材を使いながら、畳というのは藁(わら)という自然素材が持っている機能を活かした敷物であるのに対して、フローリングは木を使いながらも、表面加工することで木が持っている機能のうちごく一部を使っている敷物になります。
札幌の街というのは、いわばフローリングの街とでも言えるのかもしれません。

この感覚は札幌市全域ということではなく、札幌市の中でも碁盤の目が綺麗に整備されている地域になるほど顕著に出る傾向があり、分かりやすいところでは豊平川を越えた東側になると、エネルギーも違ったものになりますし、碁盤の目もそれほどしっかりしたものではなくなります。また、モイワ山の南側と北側では明らかにエネルギーが異なるものになり、南側では自然のエネルギーの方が支配的になります。

-*-

札幌がフローリングの街になるということは、良いことなのか、それとも反対なのか・・・
北海道は厳しい自然を開拓してきたという歴史があり、厳しい自然の中に人間が住む事のできる空間を作り上げる必要があったということを考えると、自然を利用するということよりも、自然を克服してゆくという側面の方が強いのではないかと思っています。
そういった意味では、更地があり、そこに自分達の街を作るということでは、自然を利用するという畳的なやり方より、フローリングという自然を克服するやり方のほうが効率的な開発になっていったのだと思います。

札幌の街を眺めていても、風水的な作りになっていないということも、こういった歴史的な観点から見ると、それが必然的な事柄だということが理解できます。

もっとも、後付で風水的観点から神社やお寺を配置するということも行われていると思うので、そういったことを探せば出てはくると思いますが、町並み全体は風水的な構造を見つけることが難しいのが実態です。

-*-

ところで、街の繁栄には、風水的な観点を持った計画が必要なことは確かで、京都の街づくりはその代表格と言える場所です。京都も碁盤の目状の街になっていますが、こちらは風水を徹底していることが札幌とは大きく異なり、周囲の山川を上手く取り込んだ形になっています。
だとすると、札幌は風水を取り入れなくてなぜ、日本で五番目の大都市になっているのか?

これは、特に戦後五十年にわたる高度成長期とも関係してくることですが、戦後五十年というのは、日本が自然を疎かにしながら工業化を進めて経済的な急成長を成し遂げた時期にあたります。
この時代は、風水的なことも忘れられていた時期であり、科学的・人工的なものが好まれていたという側面があります。こういう時代の空気と、自然の厳しい北海道に住むための人工的な街づくりという方向性が一致した結果、大都市に発展したのだと考えています。


モイワ山山頂から見た札幌中心部の夜景