輪廻転生

2010.2.12作成

こちらの記事は、2010年2月12日でお話しした「輪廻転生」に関する話題の録音を元に、加筆編集したものです。また、文書として読みやすいように、口語体から文語体に変更しています。

八雲:今日の話題は、輪廻転生の話になります。今日の参加者の中に輪廻転生を、知らない人っていないと思いますが、一応聞いておきます。

質問者:間違っているといけないので、一応確認させてもらっていいですか?
死んだら、魂はまたどこかに行って、また降りてくる、それでいいのですか?

八雲:一般的には、人間という存在は、どこかに魂があってこの世に住んでいる、それで死んだら肉体はなくなって魂はあの世に行く、そしてその魂が人間として生まれてくると、というのが、一般的によくいわれているイメージです。
これは間違いではないですが、正確ではないというのがあるので、今回のこの話をしています。
それで、何が正確でないかということですが、我々が生きている間も、魂はあの世にあって、この世にはありません。
魂はこの世になくて、あの世にあり、人間の肉体はこの世にある。そして、肉体と魂は常につながっています。

 (魂) ・・・あの世
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(肉 体) ・・・この世

つまり、人間という存在は、あの世にある魂とこの世にある肉体が常に繋がっている状態になっていて、死んだら肉体の方がなくなるだけです。
ここでは、一般的な表現として魂という言い方をしていますが、魂はずっとあの世にあるまんまなんです。

だけども、みなさんがそういう風に考えづらいのは、肉体から発想してものごとを考えるクセがあるということです。今生きていること・肉体を起点として物事を考えてしまうからです。
今を中心に考えると、あくまでも肉体があって、それから魂があってというふうに考えやすい。

この肉体から起点として発想するっていうのを、私は最近「肉体派」と呼んでいるんですけども、肉体派的な発想をすると、この世界の構造というのは非常に分かりにくくなってきます。

これは、天文学の歴史で言うところの、天動説と地動説の違いのようなものになります。
つまり地球が宇宙の中心で、天が動いてると考えている時(天動説)には、惑星の逆行現象などを説明するのが非常に難しくなりますが、地球が動いていると考える(地動説)と、説明がシンプルになる。というのと一緒で、肉体中心に考えていくと、この世のことと、あの世のことがよくわからなくなっていきます。

この世とあの世って、一般的には具体的に定義しないで使い分けていますが、これを正確に区分していこうと昔からいろいろな人が取り組んでいて、人によって表現が違うのですが、それを整理すると、こんな感じになります。

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存 在 界
――――――――
神 仏 界
――――――――
霊 界
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人 間 界
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下から説明すると、肉体レベルであり、この世である人間界。エネルギーレベルで、あの世と呼ばれる霊界。神様仏様の世界である神仏界。肉体レベルからは非常にみえにくい存在界。宇宙の根本である無がある。
なお、霊界のみをあの世と呼ぶ人から、霊界から存在界まですべてをあの世と呼ぶ人までいるので、あの世という言葉は、語る人によって定義範囲が異なるので、注意が必要です。

われわれは、元をたどれば、無のあたりから出てきている。そしてエネルギー的に非常に精妙な存在界のレベルになって、神仏の世界の存在になって、霊的な世界のかたちになって、今われわれは、肉体を持った人間として人間界におりてきている。
だから神が降臨するというのはまさにそのとおりで上のほうから降りてきている状態。
だからこの世は順番でいうと最後にできた世界なんです。つまり元はというと人間は神であるというのはよく言われることですが、元の姿を追いかけていくと元は神であることがわかります。

あの世と呼ばれている世界は肉体のない世界です。
この世と呼ばれているのは肉体のある世界です。

この世界そのものをいろいろみていくと、肉体がある世界の方が、むしろ例外的です。だけど我々は肉体の体験をしているので、肉体を中心でみてしまう、肉体から発想という思考パターンがあります。だけどこの世界いろいろ調べていくと、この肉体のない世界である、あの世の方が元々の姿だとわかってきます。

じゃあ、肉体のある世界がなぜ存在するのかというと、肉体のない世界では体験出来ないことをするために、この世を作ったということです。
向こうではエネルギー存在なので、肉体という物質のある体験はできない。

また、あの世は統合の世界、エネルギー体では、みんな繋がっている状態で、繋がり度合いの高いのが存在界レベルであり、繋がり具合の低いのが霊界レベル。という違いになります。

我々が人間の肉体として生まれると、それぞれに別の存在と感じます。
別の存在、言い換えるなら、(統合の反対の)分離という体験は、肉体があるから体験できる体験なわけです。
エネルギーの状態では切れ目がなく、みんなつながっている状態です。つながっている状態が元で、別の存在として感じられるという体験をしに来ているというわけです。

存在界から人間界までの4段階の区分の仕方以外もあり、もっと細かくわけているやり方もあります。ヘミシングなどは何十と分けていますが、それだとさすがに分かりにくいので、わかりやすいように4段階に分けています。

輪廻転生ということの以前に、人間はどこから来たのか?という問いに対して、肉体レベルだけで考えると、輪廻転生は非常に難しく理解しづらいものになります。
でもあの世も含めてエネルギー体であったころのことも含めて考えると非常にシンプルになってきます。

人間は小さい存在に感じるということがあります。なぜかというと、自分たちが神様だったころは大きな存在だったので、大きな存在を感じるのが普通なわけです。ということは、神様でいるということは小さな存在に感じられないということです。

神仏の世界では感じられないことをするためにこちらにきているわけですから、肉体をもつための制限を作っています。例えば我々が神のようになんでもできたら楽しいかといったら、全体の枠組みで考えたら、それを体験しに来たのではないと。つまり神様のころでは体験できなかったことを体験しに来たのであって、そうすると肉体という制限をつくったり、能力的な制限をつくったり、ということで様々な制限を作っています。

一番大きいのは時間と空間という制限です。あの世にはそういった制限がありません。
エネルギーという存在で、時間空間がないので、あの世は時間制限がないんです。だからわれわれ人間が肉体として生まれるというのはいろんな制限をつけたしている状態です。

制限つけたら面白くないじゃないか、と思う人がいるかもしれませんが。よく例に出すのがサッカーの試合です。サッカーはルールがあって、球を持ってはいけない、45分という時間制限がある。ルールもいろいろあると。しかも相手のゴールに球をいれなければだめと。我々の一般的な生活と比較して、様々な制限=ルールがあるわけです。

じゃあ、サッカー面白くないかというと。今ちょうどワールドカップが始まっていますが、これだけ世界が熱狂するというのは、制限があるからゲームとして面白いものになっているということです。
だから、我々人間には制限がある、神と同じような能力や自由を感じない、というのは、大きな目線で見ればちゃんと目的にあっているということです。われわれが人間として生まれるということは、理にかなっているわけです。もともと「神ではない体験」をしにきているのですから。

だから、われわれ人間が生きていることは、仮の世界だという言い方がされます。この仮の世界という言葉だけ聞いていると、わかりにくいのですが、あの世が本来の世界で、あちらでは体験できないことを、体験をするために生まれてきているということ。これを理解すると、仮の世界というのがしっくりくるようになります。

霊界を一つの階層として話をしてきましたが、霊界を詳しく見ると上・中・下と三つの階層にわかれます。上と中は元々あった階層で、下というのは後から出来てきたものです。
人間死んだのだけれども、死にきれていない、あるいは成仏してないとも言いますが、そういう人たちが存在する階層で、幽界という言い方をする人もいます。この階層は、人間界が出来た後に出てきた階層です。なので、霊界の下の階層というのは、人間界のコピー世界です。

霊界を見てきた、という人の本やビデオなどをみていると、地上世界と同じだと言っている人もいます。テレビだって自動車だってあると。それは人間界のコピーだからです。
昔は人間が死んだらすっと上にあがっていたのが、それがすっと上がらなくなってきた人が出てきた、それはどういうことかというと、現世や肉体に執着がある人の場合、執着が消えるまでは上にあがれないので、下の霊界という世界がでてきたという話です。

この幽界の世界は、執着から出てきているため、人間界のコピーだし、エネルギー的にいっても近いので、あの世をみてきたと言っている人が、実はここを見ていたということがあります。確かに、あの世ではあるので、間違いではないのですが、あの世にはもっと上の階層もあるということです。

だから霊界の世界も、色々な人が色々なことを言ったり書いたりしていますが、調べれば調べるほど人によって、ばらばらな話が出てきます。つまり、今日このお話会に参加している、人たちが一人一人にアメリカについて語ってください。とお願いすると、みんなそれぞれ違ったことを言います。それと同じことが起こっているということです。

元は神であった人間が下ってきて、人間の体験をするために何が必要かというと、自分が神であった記憶、霊的な存在であったということを一時的に忘れる。そうすると肉体的体験として非常に濃いものになります。これが、神の世界を覚えていると、肉体的体験としての純粋さが薄れてくることになります。だから、元いた世界を忘れる、ということが肉体の体験を深めるには良いことになるわけです。

向こうのことを忘れてしまった方が、肉体の体験として純粋になっていくので、そうすると、人間として生まれてきた人が、元々は神・霊界にいたっていうことを忘れているわけです。で、その状態で死ぬから、あの世の世界のことがよくわからない。となって、死んでもこの世でいたいという状態になって、霊界の下の世界ができてくるわけです。だからこれは一種のジレンマなのです。

元いた世界を忘れれば忘れるほど肉体としての体験がピュアなものになってくる。なので、人間としての体験をやっていけばやって行くほど、向こうは忘れることになりやすいところがあります。なので、この神仏の世界では、イエス・キリストを送り込んだり、仏陀を送り込んだり、空海さんを送り込んだりして、時々、この世界があるんだよと、思いだしなさい、ということをやっているわけです。だからこういう人たちは、この世界があるってことのメッセンジャーでもあるということです。

われわれ肉体の世界というのは時間と空間がありますが、エネルギーの世界には時間や空間はない、つまり、あの世の世界というのはエネルギー状態の変化でしかないです。それが、われわれが肉体を持って生まれるときには、時間と空間というものに展開されるわけです。だから時間・空間というのはわれわれの方にしか存在していないのです。

古戦場などで、武士の霊が留まっているという例が実際あります。それは死んだ人にしてみれば、実はそこに時間感覚がないため、一日も一年も、百年も一緒になります。だから古戦場には何百年前の武士の霊が、そこにいる状態になります。
そのため、古戦場で、死んだ武士達を供養しようと思ったら、その武将頭が、転生して古戦場に行き、戦いは終わったと告げるのが一番簡単です。お坊さんがきて、いくら供養・読経しても、武士の方で"戦いは終わってない"、という思いがあると、ずっとそこに留まることになります。
私自身、かつて武将でもあったので、過去生で戦った古戦場に行って留まっている霊を揚げてきた経験があります。

それで、ここから先の、本来の転生の話をしていきます。人間界が仮の世界/肉体の世界だとすれば、本来は霊界という世界に本来のエネルギー体みたいなものがあるわけです。
多くの人は、霊的な世界を肉体から発想してしまうのですが、実際にはそれとは逆の順番で出来上がってきているのが、人間という存在です。
つまり、神仏界という土台があって、霊界をつくって、霊界という土台から、人間界をつくっているわけです

なので、霊界というものは常に存在しており、霊界の中の自分も常に存在しているわけです。これを魂と呼んだり、ハイヤーセルフと言ったり、色々な言い方がありますが、私のところでは、これを「本体」と呼んでいます。この言い方の方が本質的な理解をしやすくなります。
それで、霊界に存在している「本体」と人間界に存在している肉体とは、どういう関係になっているのかというと、エネルギー的につながっている状態です。

だから、この世界でよくいわれるのが、「脳は、何も考えていない」と、つまり通信機なわけです。考えているのは霊界側の「本体」が考えています。それを脳という通信機で、受信しているだけなんですね。
脳医学では、あることを考えたり、感情を持つと、脳の特定の部分が反応するというがありますが、これは特定のことを考えると、特定の部位の通信機が反応しているだけなんです。
だから、あくまでも人間という存在は、いわゆる肉体という側の存在と、霊的なエネルギーの存在の二つの要素で出来上がっているということです。そしてその二つはエネルギー的に繋がっている状態です。
だから人間が死ぬということは、「本体」は無くなることがなく、肉体がなくなるだけなんです。それだけなんです。

それで、霊界側の「本体」は存在するから、また別の人として生まれかわっていくことができるわけです。

質問者:リモートコントロールされているということ?

八雲:そういうふうに考えるのは自分の繋がっている先は、自分ではないと思っているのです。だから、「本体」という言い方をしています。
リモートコントロールされているのではなくて。あえて、その言葉を使うとすると、肉体をリモートコントロールしていると。自分で自分をコントロールしているだけなんです。リモートコントロールされているというのは肉体派の発想なんです。
だから、自分の霊的な「本体」が肉体という存在をつくりだして、そちらの方で体験をしているということなんです。よくいわれている、生まれてくるときに、自分のいろんな環境を選択しているといわれています。
元が霊界にある、本体だと思えば話が簡単です。確かにそうだという話になります。肉体をつくる時に自分で考えているわけだから。だから生まれ変わるのも、話が簡単で、自分という肉体の体験を一回終了したら、今度は別の体験をしているだけの話なんです。だから生まれ変わりをこれで考えると非常にシンプルなんです。

質問者:いったりきたりしないってことですよね?

八雲:厳密にいうとそういうことです。だから、やはり、いったりきたりと思うというのも肉体派の発想なのです。そうすると話が複雑になっていくのです。

質問者:本体は魂という・・

八雲:それで、魂という言葉は、いろんな人がいろんな定義をしてしまっているので、人によってとられ方が随分と違ってきてしまっているのです。
魂、といったら、人間の中にあると思っている人もいれば、頭の中にあると思っている人もあれば、体の外にあると思っている人もいるので、何か新しい言葉で説明しないと、違った解釈をされるということがある。

質問者:人間界の肉体に魂があると、あがったりさがったりの転生っていう・・

八雲:そういう発想になるので、この魂という言葉を使うと難しくなってくるのです。逆に新しい言葉を使った方がみんなまっさらな状態ではじまるので、そこで本体という言葉を使うようになったんです。

質問者:魂というと、いろんな人がいろんな定義をしているから、あまりそれは考えない方がいいと?

八雲:私の場合はそうしています。ただカウンセリングなんかでは、あえて魂っていう言葉を使ったほうが早く理解ができるようになる場合もあります。本体と言ってもわからない場合が多いので。ケースバイケースで使い分けしています。

ここまでで約三十分ぐらい話していますが、魂という言葉だとそこまで前置きいらないですね。みな何がしか魂はあると思っていますから。本体の話をすると前置きが三十分くらい必要になります。

質問者:魂っていうと、人によって考え方違うから、お話していてもどこかでずれてきますね。

八雲:はい。
だいたいずれます。唯物論の人は、魂は肉体だというし、サッカー選手はボールが魂だということになるので(笑)
それはそれで納得しますし、人によって魂っていう言葉の意味違うんです。それがあるのであえて別の言葉を使ってます。だからみんな輪廻転生っていったときに魂が行ったり来たりではないのです。あくまでも肉体が出てきたり消えたりしてるだけ。だから人間が生まれ変わるということは、ドアを開けて隣の部屋にいくようなものだ、という言い方をしているチャネリングソースが存在するのですが、あちらの世界からみたらそんなもの、こちらのドアからとおってあちらのドアにいくようなもんで、服を着替えるのと一緒だといってる存在もいます。それだけシンプルなことだと。

質問者:死んだ時に、幽体離脱ではないですけど、何か分離するという発想はいいのですか?

八雲:だからその発想は肉体派なんです。

質問者:あっ。上からの発想でないと。
死ぬ瞬間ってどうなのですか?

八雲:肉体がなくなるだけ。

質問者:(肉体がなくなるというのは)リンクをはずすってことですか?

八雲:そんな感じです。ちょうど今日チャネリングのセッションでやっていて、本体とつながるってやっていると、「肉体がふっとぬけた感じがする」と言っていました。
生きていても、肉体がなくなる感覚を疑似体験できます。

肉体の方が死んだのではなくて、一時的に機能を停止しているだけです。
だから、肉体と本体の間のリンクが一時的に外れている状態です。それを、肉体の方からみているわけです。

質問者:リンクを外している?

八雲:何か他からの力で外れているのではなく、自分の意思でリンクが外している、といったほうがいいです。
というのは、突然の交通事故やなどのケースでは、自分が外そうと思っているわけではないから、外しているのではなくて、外れているという感覚です。

質問者:本体がそれを意識しているのかなと思って

八雲:意識している。意識はあります。
ただし、この世の/あの世の世界の知識のない人にとっては、自分は意識があって、体がなくなっている、という状態をうまく理解できないから、自分の体の方にいってみたり、するわけです。
それで何か、病室の上から自分の体をみると。でそれはあくまで肉体派の人なのです。

質問者:肉体派の人の意識っていうとそういう

八雲:そういう風になってきます。
死んだときには、肉体なんて別にどっちでもいいと思っていたら、すうっとあっちの世界に行っちゃうんです。

質問者:臨死体験とか死ぬ間際にまた戻ってきたとか・・

八雲:それはリンクを繋ぎもどしているということです。
肉体とのリンクを繋ぎなおしている。臨死というのは、肉体と本体とのリンクを外したり繋げたりが起きているということです。だから臨死体験やっても人間の本質は変わらないですが、一時的に死を体験することで、考え方や意識的なとか、ものの考え方は変わることがあります。

それでも、人間そのものである本質は変わりません。
神の世界を信じている人が臨死状態になると、一生懸命神のもとに行ってしまうわけです。臨死でなくて本当に死んでしまうと。そちらの方が楽しいから。

質問者:戻る、というイメージは違っていたのですね?

八雲:戻るというよりはリンクを外せる状態といった方がいいですね。
多くの人は、肉体派(的な感覚)だから、この本体とは人間の(肉体の)中にあると思っているから、行ったり来たりという感覚で説明してしまうことになります。
でも、もともと実は本体と肉体は別々の存在だと知っていれば、「リンクが外れた」という話になります。だから肉体派の人がそういう発想になるということです。

だから臨死体験の立花隆さんの書いた本を読んでみると、信仰の深い人があまり出てこないです。信仰深い人だったら仏様のところにいってしまいます。だから臨死っていうのはあまり信仰の深くない人に起こりやすいです。
しかし、信仰が深い人でも、こちらの人間界のやり残した事がいろいろある人は臨死になったりします。

質問者:関係ないかもしれませんが、臨死体験をするといろんな霊能力が開花されるっていいますが、それには理由がありますか?

八雲:判り易い言い方をするならば、霊能力っていうのは本体側が本来的に持っているわけだから、肉体を一回外したら発揮しやすくなります。

質問者:また繋ぐと、思い出すみたいなことになるんですか?

八雲:繋ぐと制限が入ります。だけども、外れるという体験をしているので、能力的に出やすくなる状態になります。
だから肉体派で考えると複雑ですよね。臨死体験したら霊能力出るって何故だろうと。肉体があるから、霊能力って制限がある、そう考えたらわかりやすいです。

質問者:ヘミシングというのはこういう肉体派のってことですか?

八雲:あれはアプローチとしては肉体派です。
言っていることは(私と)同じことです。ヘミシングではレベルいくつというふうに階層分けしていますが、基本的には同じことです。
というのは、こういう肉体派的な手順でなくても、悟りへ向かう方法というのは沢山あると感じたわけです。

ここでオーラの話をしておきます。オーラというものが何であるかというと、霊界の本体側と肉体側の繋ぎ役ということです。オーラが宇宙と地球からのエネルギーを取り込んで肉体を作っている。ヒーリングで肉体が治っていくのも、こういう枠組みで考えると非常に分かりやすいです。

質問者:どういう風に肉体にリンクするかっていうのは決められているのですか?

八雲:自分で決めています。だって、自分のことだから。

八雲:時間が経っても、霊界の中層にいる状態が続いているというのが、ずっと転生を繰り返している状態ということになるわけです。
なので、この本体側というもの、霊界の上・中の層で分けた方がわかりやすくなります。
この本体というのが中の層にいる状態は人間界の肉体体験をしている状態で、上の層にいるときは、肉体がない体験をしているとき。それで上・中・下とあるわけです。

よく金星人という話ありますが、それは上の層にいる存在のお話で、エネルギー体だけで存在する状態です。
また、プレアデス人という話もよくでてきますが、あれも霊界の上にいる状態で肉体はない状態。プレアデスにいってもプレアデス人という肉体は存在しません。

霊界の上の層に居る状態が元々の姿です。だからそういうことを考えると金星人は存在しますが、金星に行っても肉体的な存在は誰もいません。

肉体レベルでは。だからわれわれが輪廻というところから抜け出そうと思ったら、簡単にいうと霊界の中から上に上がればいいんです。そうすると肉体を使うレベルではなくなるという話になります。では簡単に上がるかというと、今の大半の人たちの状態では非常に上がりにくいです。

経験の話をします。うちではカルマという言い方は使いません。なんでカルマと言わないかというと、ネガティブなイメージを持っている人が多いのでこれもあえて使わないです。
単純に'経験'という言い方をします。人間初めて生まれてくる時は、人間経験がゼロの状態です。
本体が中から上にあがるときも経験ゼロなんです。つまりゼロであれば自由に動ける状態ということです。
ですが、大抵の人はいっぱい経験を持ってる状態です。これは経験というものをいっぱいため込んである状態なんですが、この状態だと、なかなかあがりにくいです。経験が重しみたいな状態になるので。
人間が生まれて死ぬまでの間に、人に良くするとか、プラスの体験をするのか、それとも人に悪いことをするというようなマイナスの経験をするのかとがありますが、そもそも初めはゼロなんです。どちらでもない状態からはじまって、そこから大抵の人がマイナスが多かったりします。するとマイナスを経験すると、これは基本的にゼロに戻ろうとする力があるので、プラスをやると。こういう体験をやっていきます。これが最終的にゼロになったら、上に上がれることになります。それをカルマと呼ぶ人もいます。

つまりバランスの問題です。プラスに振った状態なのか、あるいはマイナスに振った状態なのか、どちらかの状態であれば、まだゼロに戻そうという力があるから、肉体がまた生まれてくることになります。

だから、バランスが偏っている時には、バランスをとるために次の人生をどこかでやるようになります。これがゼロになったら上がるわけですが、どのくらいでなるかは人によってばらばらです。霊界レベルになると、時間という概念がないので、十年でも、百年でも、千年でも良いことになります。

で、このゼロにするというのが、どういうことかということになります。我々が肉体をもって生まれてきたっていうのは、そもそも何のためかっていうと、経験という情報を増やそうとしたんです。だから神仏界レベルでは出来ない体験をやりにきているということです。
そうすると経験という情報は沢山増えてきます。これはエントロピーの法則みたいなもので、これを増やそうと、というのが意図にあるんです。
なので、肉体レベルでの経験という情報を神仏レベルまで昇華をさせるっていうことが必要になりますが、バランスが完全にゼロになると、自然に昇華するんです。

だけどもバランスゼロでないケースが非常に多いため、昔の霊的指導者が何をやったかというと、こういったものを生きていいる間にどんどん昇華をさせていってしまう、ということをやるわけです。
古くは、"南無阿弥陀仏"がそうです。これは阿弥陀さんという存在の中に自分というものを持ち込んで、阿弥陀さんに全部昇華していってもらうというやり方をとるんです。そうすると唱える言葉は南無阿弥陀仏だけでいいのです。南無阿弥陀仏という言葉を唱えることによって、経験という情報を昇華させる、ということをどんどんどんどん行っていたわけです。

質問者:マイナスとプラスはどうやって考えますか?

八雲:何がプラスかマイナスかは状況によって違うから、何がマイナスで、何がプラスなのかは一概に決めることは難しくなります。
例えば、子供の頭をたたくのが、単に感情に任せて行ったのであればマイナスだけれども、悪いことをした子供にしつけとしてたたくのであれば、子供が気付くきっかけとなるということもあります。プラスとマイナスの両方が同じ行為でもあるんです。

質問者:ではその時の動機が大事なのですか?

八雲:結果が大事です。つまり、子供がそれでもわからない時あるから。

質問者:本人が意識していても、子供がわからないときありますね。

八雲:だからプラスかマイナスかだけで考えた方がいいです。これは個別の話でするととても複雑になるので。

質問者:結果がプラスかマイナスかということですね。

八雲:これが教育論だとすると、個別の話をしなければならないですが、今日は教育論ではありませんので。
あくまでも、プラスなのかマイナスなのかにとらわれずに、一個ずつどんどん上にあげて行くということをやっていくと、しまいにはゼロになるんです。そうすると自然に上がります。
だから阿弥陀さんの場合は南無阿弥陀仏を唱えておけば成仏するよっていうのは、そういうことなんです。いずれバランスがゼロになり、そうするといずれ阿弥陀さんのところに行けますという話。

質問者:結果はみえているんですね?

八雲:ええ。ただし、どれくらい時間かかるかはケースバイケースです。でも、何もしないのに比べればかなり早くいける。という状態になるわけです。
同じようなことは最近だと五井先生(五井昌久)もいっています。五井先生の教えの中でいくと、「消えゆく姿」いうのがあるのですが、つまり自分の色々な気持ちとか、色々な体験を全部神様のもとに、ネガティブならネガティブな感情をもったまま、神様のもとに届けていく。これを続けていると、いずれきれいになる。
これがキリスト教であれば祈りになるわけです。祈りをすることで神とひとつになっていくというのは、こういったいろんなものを神のもとに届けていくという意味があります。

質問者:プラスとマイナスをゼロにして行くということですね?

八雲:結果的になる、ということです。元々ゼロになろうという力があるのです。元がゼロですから。でそれを加速するために祈りを使うということです。
様々な宗教でも、似たようなことをやっています。神道なんかであれば参拝していくときに、あんまり何も考えないで参拝してくださいっていわれるのは、あれは本来の自分の中のいろんなものを神に届けていくということです。そして、神様が昇華してくれると。するといずれは自分というのはこれがゼロになっていく。そういう風にしていくと、人間が人間として体験してきたことは、神様に届いていっているから、それはそれでOKなんです。
そうすると向こうに戻れる。すごろくで言う「上がり」ですね(笑)。

質問者:バランスだから、結果がマイナスも必要だしということ?

八雲:あくまでも体験なんです。だからプラスかマイナスかっていうのは、最後情報だと思えばどちらも有用なんです。意味があるんです。

質問者:バランスのことでいえば、二極?

八雲:この話は、二極で考えた方がわかりやすいから単純化して話をしています。複雑化するとどんどん複雑になって訳がわからなくなります。
我々が何度も何度も輪廻転生をするっていうのはカルマバランス的なものがゼロになってないから。まだそれを何処かで戻そうとするということです。
もちろん、体験を深めようとして何度も輪廻転生をするということもありますが、今回は分かりやすくするために単純化しています。

質問者:ではいい結果も悪い結果も経験しましょうということ?

八雲:いい・悪いは神様にはありません。だから面白いのが、過去生をみていると、いろんな体験の中で、Aという人生をやると、その反対側のBの人生をやるというのがこれよくあります。私のカウンセリングに外科医のお医者さんが続けてくることがあったのですが、みんながそろいにそろって同じ過去生をもっていると。その方たちの職業は何だと思いますか?いまは良い外科医をしています。

質問者:殺し屋とかですか?

八雲:殺し屋だったらば、外科医になるための条件が揃わないです。外科医っていうのは人間の状態や肉体構造をよく知らないといけないわけです。で、肉体の構造を良く知っていてマイナスをやるんです。殺し屋は、そんなに肉体構造知らなくてもできますね。

その人たちは、牢屋の拷問係だったわけです。痛めつけることで自白を出させるのが仕事です。だから人間の状態や肉体構造を良く知っていないといけないです。どこが弱いか強いか、どこまでやったら死ぬとか、骨が折れるとか、知っていなければならないです。それでいえば、マイナス側をやっていたわけです。昔これだけのことをしていれば、その知識と経験が活きて、良い外科医になります。今は外科医をやって今は人を治しています。つまりプラスをやっています。

あともう一つは、法律家を今やっている人がいて、この方の過去生は何かというと、泥棒やっていたんです。職業としての泥棒。では泥棒していたことが悪いかというと、過去生をみて泥棒だってことクライアントさんに言わないで、その法律家の方に尋ねたのは、「犯人の気持ち良くわかるでしょう?」と。すると、「なぜか、よくわかります」という回答でした。「昔やっていたからね」。という話で、こういう経験があると、いい法律家になります。
だからどろぼうやっていたのが悪いかというと、これも難しい話になります。だからあくまでも体験として両極のものはどちらも良い・悪いは言えないです。先程の牢屋の拷問係だって、いい拷問係をやればやるほど、いい外科医になります。相手の痛みをよく知っているから。だからプラスかマイナスかで考えておいた方がシンプルです。個別議論をやるとややこしくなります。

今の貧乏人が、過去生では金持ちだったということよくあります。金持ちの体験はもうやったよ。ということだから。霊界的にみたらお金は別に関係のない世界だから、貧乏人の体験は面白そうだね、っていう発想に向こうから見るとなるわけです。
そういった中でプラスとマイナスの偏りがあるのをゼロにしようとしている状態なのです。

だんだん自分がクリアになっていくと、やがてゼロになるわけです。だから、人間が悟るっていうのはゼロになるという状態なんです。だから"霊界の上"に近くなります。だから仏教とか禅の世界でもいろんな世界でも、悟った人っていうのはものごとを非常にシンプルにみるという風になってくるんです。

質問者:その悟りには段階がありますか?

八雲:段階はあります。十牛図などが知られています。

質問者:悟った人は、生きてないということになりますか?

八雲:生きてないというのは、結果的にそうなります。ただ、本当に悟って、まだ他の人に教えなくてはならない役割があれば生きています。だから一番いいのは自分というものをクリアにして、ゼロにできるっていうのが輪廻転生をやめることもできるし、またやりたければやることもできるという自由な立場になります。

質問者:自分はもう転生しないと言っている人がいますが。

八雲:上から見ると、地球の体験は体験でまた面白いから。本当にゼロになって上までいってしまうと、気がかわりやすいようです(笑)。転生しないって言っている人はこの世がつらいから言っている人が多いように感じます。
一番良いのは一度のぼって、選択できる状態になるというのが一番いいです。金星人になろうが、地球人になろうが、自由に選択できると、それが一番いいんです。

質問者:ある人からききましたが、マザーテレサは、神仏界とか上まで昇華した本体が、人間界の下をみて、このままではいけないので、わざわざ選択をしてもう一度わざわざおりてきたと。

八雲:私自身は、確認をしてないので、どちらだかわかりませんが、イエス・キリストやブッダというのは、そちらの系ですね。いわゆる降臨型の人達。降臨型っていうのは、過去生ほとんどないようなに近い感じに見えます。つまり、一度ゼロになっているので、見え難いわけです。

話は、少し跳びますが、そうやって考えると、世の中に悪人がいて、迷惑だなと思うことはあるけれど、憎くないです。悪人が居てもそんなに憎くならなくなります。こういう(スピリチュアルな)世界を学ぶというのは自分の心が平和になるってことが一番大事だと思います。
こういうこと知って、自分の心が乱れるようになっては却って、本来の趣旨から外れることになります。だから、死んでも大丈夫なんだよ、ということがわかってくると、死ぬのが怖くなくなる。一方で、あの世の事を知らない人ほど、死ぬのが怖くなります。
あの世の世界が判れば判ってくるほど、死ぬのが怖くないというのが判ってきます。そうするとその分だけ心が平穏になると。そこが一番大事です。
だから、お化けだって、わかってくると怖くないんです。お化け怖いって言う人ほど、お化けをしらないんです。かわいいお化けもいるので。

質問者:お化けって、生きていた人ですか?

八雲:生きていた人が大半です。

質問者:では人間の時があったのですね。

八雲:お化けは霊界の下の部分だから、ほとんど人間として生きていた存在です。まれに動物の場合もあります。スピリチュアルな仕事をやっていると、お化けより、生身の人間の方が怖いです(笑)

お化けというのは、単に執着しているだけです。人間だったころに執着しているところがあるので霊界の下に留まることになります。
ただし、その執着が、戦国の時代だったならば、戦国で戦っていて、上司から戦いが終わったと言われてない状態というのもあります。その頃は上司に刃向ったら殺されるわけですから。

質問者:許可がおりないと、帰ることができない?

八雲:出来ないです。だから私も長篠の古戦場に行ってきました。

質問者:武将だったのですね?

八雲:はい。

質問者:では部下だった人に許可を言いにですか?
実際にあがっていった人っていましたか?

八雲:いました。敵方の人たちはさすがにできないです。

質問者:それは敵方の武将が・・

八雲:敵の武将がいわないといけないです。だからうちの関係者にはいえるわけです。だから残っているなと思った時でも流石にこれは無理だなっていうことあります。

質問者:そしたらわけのわからない人が鎮魂とやっても無理なんですね?

八雲:鎮魂をやって結果が出るケースもあります。つまり忠誠心が高い場合は、上司が言わないといけない。でも、忠誠心があまりないと、鎮魂やると上がって行くことがあります。逃げ出して、いいんだろうか?っていう、不安な状態ですから。
戦国時代は色々な人が駆り出されている時代だから、色々なケースがあります。やはり、上司が行くのが一番いいです。でも、上司が生まれ変わってない時には、上司に近い人がやるとか、その上の上司がやるとかが必要です。

この生まれ変わりの話の中で意外と知られてないのが、Aさんは、A´として生まれてくるかといえばそうでないときあります。つまり、1:1の関係は必ずしも成立しないです。
5:1とか1:5もあります。つまり今生きているだれかさんが過去生的には5人の経験値を持っていることもあります。自分自身のケースだと、武田の武将やっていたってことはあるけれども、1:1ではなくて4:1くらいの関係ですね。だから他にもう3人くらい同じような過去生持っている人他にいるだろうと思ってます。これは肉体的感覚だと説明が難しいところです。
だけども、あっちの世界はエネルギーなので、エネルギーはコピーしたり、分割したり簡単にできます。

質問者:グループソウルというのがありますが…

八雲:あれもこれに近いです。ただグループソウルって言った時に意味合いはちょっと別の意味もあるので注意が必要ですが。一人が一人でないっていうことは、今の世界でいうと話簡単で、ひとりひとりの人間っていうのは、ひとつひとつのことをすべて自分だけの判断や知識で成り立っているかというと、いろんな人の影響をうけたりしているから、ピュアな100%自分ではないわけです。いろんな人、たとえば親からいろんなこと教えてもらったりとか、学校でいろんなこと教えてもらったりとか、つまりいろんな人の体験を自分が持っているということです。だから生身の人間でいる時も実は1:1の関係でもない、と考えるとわかりやすいです。だから生まれ変わりは1:1とは限らないです。
ただし、過去生リーディングやっているとこの1:1の関係で話しておいた方がわかりやすいところあるので、基本的には1:1の関係で話をしていますが、実は過去生のうち本人の割合が3分の1だったりすることあります。残りはだれかが引き継いでいるという話になるので、ちゃんと読めば、この場合だと、同じ過去生もっている人他に二人いたりするわけです。現代でいえば同じ先生にならった人が何人もいるのと同じようなことです。
だからAさんという同じ先生から学んだ人3人いればAさんの影響は3人存在するということに似ています。

質問者:3人のうち一人が悟っちゃっても転生しないということはあるんですか?

八雲:あっちの世界は情報の世界なので、いくらでも情報をコピーできるんです。情報だから。エネルギーと言った方がいいですが、エネルギー=情報みたいなもので、あっちの世界のことはコピーできるんです。ただしあっちの世界にいるときには見ようと思ったらいつでも見ることができるから、コピーを作る必要がないです。距離も時間がないから、見ようと思ったらいつでも見られるわけです。なので、コピーをつくる必要性がない。
だからちょうど今でいうとホームページみたいなもので、ひとつホームページがあればだれでもいつでも見られるような状態。だからそのホームページのコピーを作る必要がないわけです。だから3分割すると劣化するっていうのは、発想が肉体派なんです。
この関係性っていうのは、過去生と肉体が1:1の関係という肉体派の発想からだと、なかなか理解しづらいです。でも上の方はエネルギーで、肉体は仮の姿だと思えば、不思議はないんです。

質問者:本体っていう概念がわかなくなってしまったのですが。本体は肉体があるから本体ってでてくるんですよね?コピーされたものっていうと・・

八雲:ホワイトボードでは、本体を○で描いているとちょっとわかりにくいですが、○で描いた方が理解しやすいのでこう書いているだけです。本当はエネルギー的にみればこういう感じでなだらかな山のようなものです。山のピークの部分が肉体として見えている。しかし、エネルギー的には、たくさんの山のお互いのすそ野は、隣と影響しあっているわけです。だからAさんの影響が強いというのは、Bさんすそ野の部分で相互に影響しあっている、Aさん方から色濃くもらってきて、これが影響されるという関係になってきます。だからどうしても肉体的な発想でものごと考えやすいんですが、ひっくり返してエネルギー的なものだと考えると、話がわかりやすくなります。

だからさっきの話でグループソウルみたいなのは、なんらかの特定の事柄とかの集まりの方、つまり典型的な集まりのグループソウルっていうと、家族は一種のグループソウルです。このグループソウルは別のグループソウルともオーバーラップしてかかってくるわけなんで。だからA、B、C、Dというグループソウルあって、例えばこの辺の人たちだと、AにもBにも、CにもDにも属していると、
また、どこにも属してないようなものだってあるわけです。これは両方あります。だからこれはグループソウルっていった場合にはかなりおオーバーラップしていて、いろんなものに関わっているような人もいれば、関わっていない人もいるということです。

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