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幸せの悟り方

2013.01.18更新
2012.12.06作成

更新情報 2013/1/18

精神的な幸せ リンク

 

幸せは

幸せは、

掴むものでもなく

引き寄せるものでもなく

勝ち取るものでもなく

呼び寄せるものでもなく

努力するものでもありません

それが、常にそこにあるということを

悟るということです。

このことを忘れている人が、

とても多いです。

どうやったら、悟れるのか、

知りたい人はいますか?

三つの幸せ

幸せといったときに、どんな幸せを想像するでしょうか?

美味しいものを食べる幸せ。好きな人と一緒に居られる幸せ。好きな仕事ができる幸せ・・・

幸せといっても、人によって何が幸せなのかは、ずいぶん異なりますね。

そこで、幸せを、スピリチュアル的に捉えると、三つに分けることができます。

・物質的な幸せ
・精神的な幸せ
・魂的な幸せ

幸せとについて、多くの場合これらを混同していることが多いので、幸せとは何なのかを深く考えることが難しくなっていいます。

ふつう幸せというと、

・物質的な幸せ
・精神的な幸せ

のどちらか、もしくは両方のことになります。

物質的な幸せ

物質的な幸せというのは、文字通り「物質」があることによって感じる幸せです。

物質的な幸せは、衣食住のために必要なことです。

衣食住は、精神的な幸せや、魂的な幸せにつながるための、最初の幸せになりますから、これは最初に必要なことです。

物質的な事柄から離れるための修行というものがありますが、その修行を行うためにも、衣食住は必要になります。

だから、物質的な幸せを否定することはできません。

しかし、物質的な幸せというのは、不安定な幸せになります。

物質というものは、不変ではなく、変質したり、無くなるという運命を背負っています。

自分自身の思いとは関係なく、変質したり、無くなったりと、変化することがあります。

たとえ、大切な宝物であっても、それを突然失ったり、自分から離れていくことがあります。

つまり、物質的な幸せというのは、その幸せの源が自分自身以外のところに存在しています。

物質的な幸せというのは、それが自分の手元にある時だけの幸せであり、手元から離れてしまうことを、完全にはコントロールできないものであり、自分以外の存在の状況に左右されてしまう幸せです。

物質的な体験をする場として、地球は創造された

人は、元をたどれば、創造主であり神でもある存在です。そのときは、物質はなくエネルギーのみが存在していました。エネルギーなので、私以外の何物も存在しない、ただ一つの存在です。これをワンネスと呼ぶこともあります。

そのただ一つの存在が、「自分」を感じてみたい、ということから始まります。

エネルギーレベルでは、「自分」というものを感じることができたとしても、ただ一つの存在というものの中の、部分でしか感じることができません。

そして、エネルギーのバイブレーションを下げていくと、より部分というものが強調されていくことに気が付きます。部分が強調されていけばいくほど、「自分」というものをより感じられていくことになります。

そして、「自分」というものをより感じられるようにするには、「自分以外」の存在が必要であることに気が付きます。

やがて、自分以外の存在というものを確立するには、エネルギーレベルでは十分ではないことにも気が付きます。

そこで、エネルギーから、物質というものを生み出すことになります。

アインシュタインの有名な公式

e = mC^2

は、エネルギー(e) と質量(m)すなわち物質が、光の速度の二乗(C^2)という定数を乗じると等価であること、つまり「エネルギーと物質は等価である」ことを表しています。

こうして、造られた物質世界が我々の住んでいる宇宙であり、地球です。

物質世界は、「自分」と「自分以外」というものが、物質として存在することで、明確に区分される世界です。

そして、「自分以外」という存在が、人であったり、動物であったり、草木であったり、モノであったりと多様な自分以外の存在を体験できる場所です。

地球があって、人類が生まれたのではありません。

創造主である我々が、物質的な体験をする場所として、地球と人を創造したのです。

物質の多様性は様々な体験のため

物質的な幸せを考えるときに、鍵になるのは「多様性」です。

エネルギーというシンプルな世界から、物質世界を創造するときに、様々な体験ができるように考えられています。

なので、物質世界の特徴は、多様性です。地球上には、様々な物質や生物、植物そして宇宙には無数の星々が存在していますが、これらは人が転生を繰り返す中で様々な体験が可能になるように存在しているわけです。

多様な体験には、「幅」「高さ」「奥行き」という、三つの方向性があります。

一度の人生の中で、「幅」すなわち様々な体験をすることもあれば、「高さ」を追求することもあれば、「奥行き」という一つのことを究めていくこともあります。

人は、転生する中で様々なことを体験するようになっているので、一度の人生で色々なこと(幅)をしなければならない、ということはありません。何かを極めるのも多様性の表れ方になり、どのように体験をするのか、その選択は一人一人の自由に任されています。

物質的な幸せとは何か

物質的な幸せというのは、これまで見てきたように、我々が元の姿ではできない体験をするために新たに創造されたものです。

地球という場所の存在理由は、物質的な体験をする場所ですから、物質的な幸せを体験することは、我々が地球に生まれてきた目的と合致します。

物質的な幸せを体験するのは良いことですから、楽しみましょう。

しかし、物質的な幸せというのは、その源が自分以外の所にあるので、自分でコントロールすることができず、幸せになりたいと思っていても、なれないということが起きてしまいます。

これは、物質というものが、制限を持っていること、つまり総量や分配に限界があるということから発しています。

そのため、物質的な幸せのみを追求するということは、限界や失う不安と常に隣り合わせの生活を送ることになってしまうということです。

物質的な幸せだけでは・・・

三つの幸せである、

・物質的な幸せ
・精神的な幸せ
・魂的な幸せ

のうち、物質的な幸せのみを追求すると、お金やモノが沢山あって、一見すると豊かで幸せな生活をしているように見えますが、残り二つが幸せでないと、心の中には空虚が広がっていくことになります。

これは、現代の日本人によく見られる傾向です。

自宅にはいろいろなモノがあって、便利な生活をしているにも関わらず、時々不幸せに思えるという人の場合、物質的な幸せのみで生活しているということです。

その不幸せ感を、さらにモノを手に入れることで解消しようとすると、一時的には新たなモノを手に入れたという幸せ感がありますが、それは長続きしません。精神的な幸せと、魂的な幸せを手にすることが必要です。

かつて、日本も物質的に豊かではない時代が長く続いていました。その頃は、物質的な豊かさが手に入らない分、精神的や魂的な豊かさに意識が行くので、結果的に比較的バランスが取れていましたが、日本が経済成長し、物質的に豊かになった分だけ、精神的や魂的な豊かさが忘れられてしまいました。

しかし、これからの時代は、三つの幸せのバランスを取っていくというライフスタイルが必要になってきます。

物質的な幸せに意識が行きやすいのは

物質的な幸せに意識が行きやすい、つまり、モノを所有する、飲食する、買い物する、に気持ちがとられやすいといったことは、悪いことではありません。

精神的・魂的なことを忘れやすいというのも、悪いことではありません。

こういったことを、悪とか間違い、といった言い方をする人もいるようですが、物質を創造したのは、私たち自身ですから、悪を創造するはずがありません。

地球上では、物質的な幸せを体験するということが、目的の一つですから、物質的な幸せに意識が行きやすいというのは、そもそもの目的に合致しているということです。

ただし、物質的な幸せのみに、意識が行くというのは、バランスを欠いている状態ですから、これは修正すべきです。

幸せというのは、物質的+精神的+魂的の3つのバランスが大切です。

コラム:幸福(しあわせ)の感じやすさ

幸福の感じやすさと、分離・統合感覚の度合いには、密接な関係性があります。


そもそも、人は統合の場にいたのですが、そこでは幸せであることが当たり前の世界です。その世界から、分離という世界を体験しに来ているので、分離が進むほどそもそも持っていた幸福は感じられなくなっていきます。

分離というのは、自分と自分以外を分けて行く行為(思考)になりますが、これを突き詰めて行くと、自分は単なる肉体的な存在であるということになります。単なる肉体的な存在であるわけですから、そこに幸福という感覚はありません。

また、人間関係においても、男の人がよくやるパターンとして、上下関係で人間関係を定義してしまうと、下の人間はコキ使われるとか、我慢しなければならないという隷属の関係性に陥ってしまうことがあります。ここにも幸福という感覚はありません。

転職回数が多い人だったので、色々な職場を見てきたのですが、ギスギスした職場は、人がバラバラに仕事をしているのに対して、良い職場というのは、その場にいる人たちに一体感(統合感)がかならずあります。そういう職場においては、働くことが楽しい(=幸福)ということが多く見られます。

もっと、わかりやすい例としては、親子や恋人など、好きな人と一緒にいると一体感があり、幸せを感じます。これは、二人の関係が分離ではなく、統合になるので、幸せを感じるのが容易になるということです。

一人一人の生き方として、分離的に生きるのか、統合的に生きるのか、どちらを選択するのか、生まれる前にある程度決めてから生まれることになるのですが、過去生も含めた全体的には、「統合 → 分離 → 統合」というサイクルを経験するのが、地球に生まれる理由ですから、分離から統合への道は常に開かれているわけです。

あとは、自分自身が選択するのかどうかということです。

◆幸福(しあわせ)の感じやすさをワークしてみましょう◆

幸福の感じやすさと、分離・統合感覚の度合いには、密接な関係性を簡単なワークで、体験してみましょう。

(その1) 神社の御神木

御神木がある神社に行きます。
その御神木を目の前にして立ちます。

(分離)

「その木は、ただの木であり、ただの物質でしかない」と思います。
思います。思います。思い込みます。(思い込むのがポイントです)
そして、その木に触れてみます。
触れてみても、それほどいい感じはしません。ただの物質ですから。

(統合)

「その木は、御神木であり、我々を見守ってくれる大切な木である」と思います。
思います。思います。思い込みます。(思い込むのがポイントです)
そして、その木に触れてみます。ハグできればハグしてみてください。
その木との一体感や、言葉にはできない幸せな感覚があります。

同じ木でも、自分が持つ意識によって、受け取ることができるものがずいぶん変わります。統合的な感覚で接すると、木から色々なことが伝わってきます。

(その2) 家族や恋人、友達

こちらのパターンをする場合は、仲が良い人を相手にしてください。そうでないと分離しか体験できませんので。
仲が良い人の代わりに、大切なペットでも可能です。

相手の人とお互いに向き合います。

(分離)

「その人は、しょせん他人であり、私ではない」と思います。
思います。思います。思い込みます。(思い込むのがポイントです)
そして、手に触れてみます。
他人の手に触れただけなので、特にこれといった思いはありません。
なので、幸福感もありません。

(統合)

相手の人をじっと見つめます。
「この人は、私にとって大切な人であり、かけがえのない人である」と思います。
思います。思います。思い込みます。(思い込むのがポイントです)
そっと、手を触れてみます。ハグできる場合は、ハグしてみてください。
相手の人との一体感、言葉にできない幸せな感覚が湧き上がってきます。

同じ相手でも、自分が持つ意識によって、自分の中で感じられるものがずいぶん変わります。統合的な感覚で接すると、とても幸せになれます。

□■□

アマチさんなどの、真の覚者と呼ばれるような人の場合、相手がだれであっても統合的な意識でいるので、誰にも優しく接することができ、誰もが大切な人であるという感覚に常に居るということです。

アマチさんほどではないにしても、統合的な感覚で居る時間が長いほど、幸福をより感じられます。

統合的な感覚で居ると、日常の中に幸せを見つけることができるようになりますから、より幸せな日々を過ごすことができるようになります。

◆幸福の感じやすさのワークが教えてくれる、もう一つのこと◆

幸福の感じやすさのワークが教えてくれる、もう一つのことは、

・ワークの短い時間のなかで、相手の木や人は、何も変わっていない

・相手をどんな人と捉えるのかは、自分自身が決めている
・自分自身が決めると、相手から受け取るものが変わる

・つまり、相手から何を受け取るかは、自分次第である

ということです。

相手が自分に与えてくれることを決めているわけではありません。
自分自身が決めていることです。

分離的な意識が強い人にとっては、違和感のある考え方かもしれませんが、これは真実です。

分離的な意識から、統合的な意識にシフトした瞬間にこれが真実であることを理解することが出来ます。

逆に言えば、分離的な意識の状態に留まっている人には、この真実を受け取ることも、理解することもできません。

精神的な幸せ

精神的な幸せというのは、わかりやすく言えば「心」が幸せを感じるということです。でも、この「心」ってなんでしょう?

「心」はモノではないので、手に取ったり、鑑賞したりすることはできません。でも、心を感じることはできます。

「物質」をコントロールするということは、人類の長い歴史のなかで、少しずつ進歩してきました。それゆえに、巨大な建築物や微細な電子機器デバイスなどを作り出すことができるようになってきました。

ところが、「心」をコントロールするということになると、「物質」のコントロールに比べて、進歩は大変遅く、遅々としています。自分の心をコントロールできる人が、いったいどれだけいるでしょうか?

二千年以上前のイエス・キリストやブッダの教えが今も、光り輝いているというのは、逆から見れば、人類はいまだに進歩していないとも言えますが、なぜこれほどまで進歩していないのか?

それは、「真実を語っているから」だ、という意見もあります。確かに、人間としての真実を語っているのは間違いないのですが、人類は物質(のコントロール)についても、真実を求めてきたわけですから、それだけでは、進歩が遅い理由としては弱いように思えます。

(続きます)

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